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◆第9章 再生産・変動・フェミニズム

★再生産と変動

著者は「私は性支配は変わらないとは全く思っていない。ただそんなに簡単に変わるものではないと思っている。」(p395)と認めます。著者の言う性支配が簡単に変わらないと著者でさえ認めざるを得ないのは、ジェンダーがその本質・根拠から絶えず根拠を供給されているからなのです。
著者は「社会成員がこれまでとは全く別のパターンの社会的実践を行うことも、充分に可能である。」(p395)と指摘します。確かに、本質や根拠に反した社会的実践を行うことも可能です。しかし、それは本質や根拠に反しているがゆえに快適ではなく、本質や根拠を摩耗・消滅させる道を意味するのです。そして、そのような主体的決断が可能なのも主体性をもたらす本質が存在すればこそなのです。


☆変わった/変わらない

著者は「男の子にセックスしたいと言われると、応じないわけにはいかないように感じちゃって、避妊をちゃんとしてくれっていうこともできなくて、そのままイエスって言っちゃう。結局妊娠しておろすとか……、そういうこと本当に多く聞くんです。」ということを変わらない例として上げているが何かの間違いでしょう。昔の方が女の子は道徳観念が高く、自分の身を大事にしていました。性の開放はフェミニズムが押し進めました。女性を縛るものとして道徳を追放し、快楽だけの性を押し進めたのですから。


☆再生産と変動

著者は「社会には階級・エスニシティ・ジェンダー・職業・障害者など様々なカテゴリー装置がある。」(p404)と述べ、「差別問題にはこうした社会的カテゴリーを再生産する仕組みがつきまとっていることが多いということも、一因であろうと思われる。」(p404)と指摘します。しかし、カテゴリーがなければ権利・義務をそれに相応しい人々に配分することができません。権利・義務を相応しい者に配分できないことは正義に反します。問題はカテゴリーそのものではなく、カテゴリーとそれに与えられる権利・義務の立て方です。あるカテゴリーの人々の本質に適した権利・義務が与えられているか、そのカテゴリーの人々に不当な結果が帰属しないかなどのことが実質的に検討されなければなりません。
著者は「性別分業と私が呼んだものは、単に抽象的パターンに過ぎず、それには多様なバリエーションがありうる。」(p406)と述べ、性別分業は「単に夫婦において女がより家事・育児により重みを置くというパターンであるにすぎない。」(p407)と指摘します。多様なバリエーションに共通するパターンが存在するのは、その根拠・実質があるからです。


★フェミニズム言説成立後におけるジェンダーの再生産

著者は「現代社会においてフェミニズムに関心を持つ多くの人々が、若い女性たちのなかにフェミニズム離れ フェミニズム嫌いが蔓延していることを指摘している。」(p408)と述べます。このような傾向は、ジェンダーが本質に基づいて形成されて本質に適合的であるが故に、女性にとって心地良いものであり、その心地良いジェンダーを消滅させようとするフェミニズムが嫌われる面があります。
そして、ジェンダーに根拠があり、再生産されるからこそ、過度な男女のカテゴリー化に基づく性差別発生の危険性があり、その性差別の排除が必要です。その役割を女性運動は担うことができます。しかし、それは主婦を否定し、ジェンダーを否定し、女性性の消滅をもたらすものであってはならず、女性性を肯定し主婦を守り適度なジェンダーを守るものでなければなりません。


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