前頁へ トップへ ラストへ 次頁へ


「人口減少 成熟社会への必須条件」(2000年4月11日付け読売新聞夕刊)による主婦への攻撃に反論する。


「女性の就業率の上昇がわが国の出生率の低下に大きく影響している」という認識を前提に、「女性就労率の向上で出生率が減少しないような社会的援助の制度が並列に確立されるべきだ。この中で現在の『働くと不利になる制度』の効率性と公平生は当然再検討されるべきだろう」と主張される。
 社会的援助の制度が出生率の向上にとって望ましいことは認める。しかし、どうして氏の言う『働くと不利になる制度』の廃止が望ましいのであろうか。そもそも『働くと不利になる制度』という呼び方自体が問題である。主婦の優遇は主婦が家庭を守ることによって幸福を生み出し教育を行い家庭外の仕事を下支えしていることに対する報償なのである。主婦の家事育児が正しく労働と言えるからには労働の対価とさえ言える。正当な優遇である。だから、効率性と公平性に問題があるなどとは言えない。幸福を生み出し教育を行い家庭外の仕事を下支えしていることがどうして非効率と言えるだろうか。そして、不公平だという考え方には、主婦の労働を正当に評価せずに家庭にいるだけで外で働いている人よりも優遇されているとすると不当な考えが潜んでいるからでは無かろうか。
 出生率の向上のためには主婦の優遇を廃止すべきだという論理はおかしい。女性の就業率の上昇が出生率の低下の原因なら、女性の就業率の上昇を抑える主婦の優遇制度を廃止すれば、就業率が上昇し出生率は低下するのでは無いか。
 女性の就業率の上昇が出生率の低下と結び付く原因は主婦の優遇制度ではない。仕事は自己実現を図れるものであるが、社会には厳しい競争が存在し真摯な努力が必要とされるものだからだ。真摯に仕事をすれば育児・家事の暇が無くなるの当然とも言えることなのである。だから、出生率が減少しないような社会的援助の制度、すなわち出産育児休暇や家事育児の代行サービスを設けるべきということになる。
 労働力の確保のために女性の就業率を上げようと言うが、それは出生率の低下と家庭を守るべき主婦の減少を伴うのだ。それは、社会の幸福を低下させ、家族の解体の傾向を強め、主婦に下支えされた良質の労働力の減少を招くのだ。家庭を主として守る者がいなくなれば、家庭は無くなり、家族は崩壊して行くのも当然だろう。
 あなたはそれでいいのだろう。
 しかし、私は主婦が守る暖かい家庭で癒されて戦場である仕事場へ向かうという家庭像は時代を越えて守るべき価値だと信じている。
 あなたの言う方向が歴史の必然的趨勢だという議論は疑問だ。人間は何を守るべきか決断してそれを歴史の方向とすることもできる。そういう観点からすると、民主主義さえ歴史の必然的な趨勢とは言い難い。将来、究極の政治独裁体制として全能の人工頭脳を作り政治の問題は全て人工頭脳に任せて解決するという選択も有り得るからだ。
 なぜ、男性ではなく、女性が家庭を守るべきかについては「新しい幸福の原理」などをご覧いただきたい。とは言え、子育ての大変な時期を乗り越えた後、主婦が家事育児などの他の社会的活動を行うことも望ましい。
 そして、先進国における出生率の低下の原因は女性の就労率の上昇の他に、生活レベルを落としたくないという動機、男らしさ女らしさの減少が上げられる。
 子供が多いと生活レベルが下がるので子供を生まないということに対しては、救世国民同盟は基礎的な生活を支え生活を豊かにする新経済システムを提案している。
 男らしい男と女らしい女が減少し、男女の結び付きが弱まる問題に対しては、救世国民同盟は男女対等を主張している。
 

前頁へ トップへ ラストへ 次頁へ