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大相撲の伝統精神を破壊しようとする女性知事


大阪府の女性府知事がまたしても大相撲の土俵に上がると言っている。
彼女が土俵に上がれば、確かに彼女のフェミニズムの闘士としての名は上がるだろう。
しかし、大相撲の伝統精神は破壊される。
私は、大相撲が好きだし、忌まわしき天皇制の伝統は支持しないが、大相撲の良き伝統は支持するので、反論したい。
あるコメンテーターはどんなに能力のある女性でも拒否されるのだから大問題だと言う。
しかし、女性が土俵に上がれないのは、ただ女性が不浄という理由からでも女性を蔑視しているからでも無く、女性が女性であるということだけではない立派な理由がある。
男子禁制の女子寮に男性が入れないのと同じ理由だ。
異性が参加できない場所に異性がもぐりこむことを排除してモラルと秩序と伝統を維持しているのだ。
女性は大相撲の力士になれない。
女性が大相撲の力士と同じ姿で土俵に上がることは許すべきでない。
その、女性が力士として参加できない場所であり、力士が戦うための場所である土俵に女性が上がれないとしても不当ではない。
演劇にも男女共にそのような文化が見られる
大相撲の力士は男性同士で力の限り汗を流す場所に誇りを抱いているのだろう。
大相撲のファンなら、力士が感情を害さないで無心で土俵に上がれるようにすべきだろう。大阪府知事が大相撲のファンとはとても思えない。
たとえ女性首相でもたとえ女性大統領でも女帝でも拒否したときに大相撲の美しき伝統は完成する。
公務員は全体の奉仕者であり、フェミニズムの奉仕者ではない。
大阪府知事はフェミニズムの使徒として働くよりも
府の財政問題などやるべきことは山積しているのではないか。
大相撲の人気の点から知事に賛成する意見がある。
しかし、果たして女性といつでも仲良くしている格闘士は女性にとって魅力的存在であろうか。
大相撲は譲るべき点は譲ってきた。
これ以上譲るべきではない。

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