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 確かに、古来から慈母ではない母親がいたし、厳父ではない父親がいた。しかし、母親の多くはまるごと受け止める愛情を与えて来たし、父親の多くは社会の厳しさを教えて来たのだ。ここで言う厳しさは、村落共同体でのみ通じる厳しさではない。都市でも父親はその中の厳しさを教えて来た。複雑な価値観が交差する現代でも通用するものがある。それは、暖かく優しく包容される家庭などの中とは違い、社会で生きるときには筋や論理、合理性が尊ばれると言うことだ。父親は暖かくあるべき家庭内でも、社会内で通用しない非違が行われ、筋や原則、論理、合理性が大きく損なわれたときにそれを回復する役割を果たすべきだ。また、子どもに課題を与えそれをやり遂げたときに社会内でも立派なことだとして誉めてやり、子どもに自尊心を植え付ける役割を果たすべきだ。マズローの要求の階層で説明すると、母親の愛情は情動を満たすが子どものことを何でも母親がやってやることで子どもが自尊心を築くのに失敗することがあり、アドラー的段階には父性が関与すべきなのである。だから、父親は幼児期以降に母親に密着し過ぎることを防ぎ、母子の狭い世界ではない社会の広い世界に目を向けさせる役割を果たすべきだ。この点は、少子化の時代に重要である。なぜなら、次の子どもが生まれることで母親の主たる関心は次の子に移り、長子は自然に広い世界に目を向けるものだが、少子化で次の子が生まれて来ないからである。また、父性は過度の母子の密着を防ぐ役割を果たす。
 こうした「いざ」という時を会社人間の父親が知り得ないとことも存在するのが事実である。しかし、主として家事・育児を担う母親とのコミュニケーションが取れていれば、「いざ」という時を母親からの情報で知り得るはずである。だから、これは父性の問題というよりも夫婦の問題なのだ。そしてそういうことができない会社人間が存在せざるをえないのは、日本が経済戦争を戦っているからだ。この際限の無い競争を緩和し人間性の回復を行うことを救世国民同盟は主張する。
 子どもをまるごと受け止める母性とは違う父性が必要なのだ。
 こうした父親の役割を十分果たしていない父親も少なくない。それは、母性と同じく、父性も作られるものだからだ。著者は父親が育児に参加しないので、人間的成長が無いというが、父親は社会に揉まれて人間的に成長して行く。しかし、それは父性の基礎にはなり得るが、なお教育が必要な部分もある。父性も母性も教育が必要なのにそれが行われないのは男女平等イデオロギーによるものだ。
 私は性差に基づく男女対等の立場から、学校で父性教育、母性教育が行われるべきだと考える。そして父性教育では、女性が主婦として下支えしてくれるからこそ、よい仕事をして自己実現し家庭も持てるのだということを徹底し、まちがっても食わせてやっているのだという意識を持たないこと、父性の意義、家族サービスや、女性が大変なときの援助の必要性を教える必要がある。
 女性が男女平等を振りかざして母性の役割を放棄しようとするからこそ、男性はそれに抵抗し、女性に積極的に協力しない事実もあるのだ。女性が母性の役割を積極的に引き受ければ、男性も積極的に援助するという面があるのだ。
 また、母たちが子どもに恵まれない同性に対して心ない仕打ちをすることがあることを指摘しているが、母性の仕事が男女平等イデオロギーのせいで女性内でも社会内でも正当に評価されていないから、子どもにめぐまれない同性を攻撃することで優越感を満たしているのだ。本当に優越し満たされている人は仲間を攻撃したりはしない。

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