前頁へ トップへ ラストへ 次頁へ


5

 男女平等で家庭が維持できると言うのは幻想に過ぎない。夫と妻がそれぞれに自分のための夢を追い続ければ大部分の家庭が崩壊して行く。家庭が崩壊すれば、結婚のメリットが薄らぎ、縛り合うだけの関係は止めるべきだとして結婚が無くなる。愛を結婚に結実させる必要が無くなれば、男女の愛が無くなり、恋だけが残る。男女平等が進行する間に男と女を引き付ける文化的魅力が失われ、恋が無くなり性的快楽が残る。家庭などの絆が失われ男女は愛ではなく利益により結びつくようになる。原子化され平等な男女関係という名の下に強者が弱者を踏みにじり性的関係を恣にするようになる。この間に男女の肉体差も少なくなり、快楽も減じて行く。生殖は試験管に委ねられ、単性的な人間が権力と(それに名誉)を唯一の価値とする世界ができあがると言う訳だ。
 私は唯物論に立たない。男と女は精神は平等だが、肉体には差があるのだ。
「家事・育児の負担が私にかかるばかり。離婚もよぎるこの頃です」という人生相談について著者の言う「正解」を述べている。この人生相談は家事・育児を助け合ってお互いの仕事を両立させようと約束して結婚したのに仕事を生きがいとする妻に育児・家事の大半を押し付けられている夫からのものである。この内容が夫からのものか、妻からのものか不明にして解答を求め、雑誌の編集者なら掲載不能として却下せざるを得ない回答ばかりだと言う。しかし、社会の通念からして、不明な内容は妻からのものと考えるのが自然であり、夫からのものとする回答を求めるのなら、編集者は当然そのむね注意しただろう。これを夫からものと見抜けた人は、男女平等が進んで母性を無くした女性の現実を見て来た職業だからである。この問題は問い方が悪い設問に過ぎない。
そして、この女性は男女平等イデオロギーの立場から見てもひどい女性である。
男女平等イデオロギーでも約束を否定する訳では無いだろう。また、平等イデオロギーに忠実であるなら、女性も家事・育児を分担すべきであろう。また、男性の立場を考える思いやりにも欠けている。
 この家庭では「常日頃世話をしてくれる父親の方になついている」として、母親に優る存在は無いということを否定する主張を著者はする。しかし、なつく事実があったとしても、母親の愛情の方がその子どもにとっても社会にとっても望ましいのである。「子どもの成長を責任をもって援助しようとする愛情豊かなかかわり方」はまるこごと受け止める愛情を持つ母性が最も適確なのである。
 夢を追いかける女性の小説の背景にも帰れる場所として温かい家庭が描かれる。しかし、すべての女性が夢を追いかけ続ければ、家庭もそれを支える社会も成り立たないのである。私は若い女性が自己の夢を追いかける道を閉ざせと言っているのではない。(だが、主夫は認めることができない。父性、男らしさを価値とする文化に反するからである。但し、認められないと言っても社会的に推奨することが認められないと言うことで個々のやむを得ない事情に応じた主夫を否定するものではない。)ただ、初めから主婦を選ぶことも、夢の実現が難しいと明らかになったときに主婦の道を選ぶことも何も恥ずかしいことは無いということだ。主婦は社会を下支えしている。男だって夢を実現できる人はそれほど多くないし、厳しい戦いを不本意な仕事を家族のためにと耐えている人は多いのだ。無条件の夢の追求・愛の追求を賛美して失敗したときに誰が責任を持つのか。地道に社会を支える人々も必要なのだ。完全に夢を実現できる仕事はそんなに多くは無い。
 人間の幸福と精神の向上についての科学的観点から以上を考察した。
 なぜ、この本をここまで論破できるかというとこの本のよってたつフェミニズムは男女の自然な関係・人間の幸福の元である血縁に基づく家族家庭を破壊しようとする屁理屈に過ぎないからだ。
 なぜ、男と女の関係が特別視されるかについての研究もあるらしいが、そんなのは第一に男と女の間にしか自然に子供は産まれないからに決まっている。そして、男女が互いの役割を尊重し互いの魅力を高めて惹きつけなければ、男女が対立し男という種族と女という種族の戦争にまで至ることがあり得るからだ。
 さらに忠告する。女性が美しいのは女性が自らの役割を果たし魅力を高めてきたからだ。
 男性と女性は、担って来た歴史、生殖器、姿形、力の強さ、精神の在り方、心の傾向などが明らかに違う。
 私はその性差に基づく、男女対等を主張する。
 著者は性差を無視した男女平等というイデオロギーを押し付けようとしている。
そして男女平等が不十分だから問題が起こっているのではなく、男女平等が進み過ぎたから問題が起こっているのだ。
 最後に私の信条に属する意見を述べる。私は人間には物質とは別の範疇の精神が宿っていると考えることから魂の転生を信じる(男から女へ、女から男への転生もある)。
従って、このことからも男と生まれたときには男の、女と生まれたときには女の役割を果たすべきと言える。
 千年王国とは権利ばかりを主張し他人の荷を重くする社会ではない。
 千年王国とは各々が各自の責務を果たして他人の荷を軽くする社会のことだ。



前頁へ トップへ ラストへ 次頁へ