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 私の立場からは専業主婦は積極的に評価される。しかし、その社会的評価は現在十分と言えないので、男女共同表彰・叙勲制度などを提唱している。また、夫は父性の役割を果たすとともに積極的に家庭サービスを行うべきだ。
母親が働く兼業主婦も認められる。母親は主として育児・家事をなすべきだが、父親は主として家事を補助し、幼児期以降に父性の役割を果たすべきである。
キャリアウーマンも認められるが、社会は主夫を積極的に認めるべきではない。
パーフェクト・ウーマンがいれば、それはそれですばらしいことだが、夢想に近い。社会は不可能を推奨するようなことはすべきではない。
 この点から、アメリカの社会学者コマロフスキーの研究を考えてみる。
平等な男女関係を歓迎する意識はキャンパスライフまでであり、将来結婚相手となる女性に何を求めるかという設問に対する回答には問題があると言う。
回答には専業主婦をもとめる「伝統主義者」のタイプ、男女平等を認める「フェミニストタイプ」、パーフェクトウーマンを求める「インチキ・フェミニスト」タイプがあり、そして最も比率が高いのは男性に依存しない自立した女性が好きだが子どもが生まれたら妻は子育てに専念すべきだと言う「修正伝統主義者」タイプだという。
「インチキ・フェミニスト」が生まれるのはアメリカ社会がパーフェクトウーマンが存在し、それが理想だとするからであろう。
 修正伝統主義者は男の本音に近い。これは対等なパートナーシップを期待させるが、子どもが生まれると母として家庭に閉じ込めるので問題だと言う。著者の男女平等の考えからすれば、育児・家事も平等に分担すべきということになるだろう。しかし、現実には家事・育児を二つに平等に分割することなど極めて困難である。母親か父親のどちらかが主として担わざるを得ない。私の立場では専念すべきとは言わないが当然、母親が主として担うべきだし、修正伝統主義者もそう考えている。社会的にも母親の責任が確立されていれば、母親が育児を主として担わされて裏切られたと感じることも無いはずである。


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