前頁へ トップへ ラストへ 次頁へ
◆第5章 ジェンダー体制

★性別カテゴリーに対する私の基本的な考え

男性と女性は精神が平等ですが、物質は不平等であり、その本質を異にします。したがって、本質に基づく事実的差異に応じて男性と女性に異なる規則を与えること一般を不当とすることはできません。
ですから著者の言う「特定の状況や社会的場面において、性別カテゴリーと活動 行動を結びつける、成文化されたあるいは慣習上の規定」(p192)を意味するジェンダー体制一般を不当とすることはできません。特定の状況や社会的場面において個別具体的にその当不当が検討されなければなりません。


★ジェンダー体制として何を上げるべきか

☆コンネルのジェンダー体制

ここで著者は「ある日系の中年のアメリカ人女性は、アメリカと同じ服装や態度で日本の街頭や電車の車内を歩いていた時には、日本人の男性から、かなりいやがらせやからかいや痴漢行為を受けたという。ところが日本の中年女性をまねた服装をしたところ、ピタリとそれが止んだという。」(p196)事例をあげて、これが日本中年女性の防衛努力の現れを示すのではないかと言います。確かに、中年女性の慎ましい気品のある服装は尊敬の念を与えます。しかし、これはアメリカ的なもの一般に対する反応でもあるのではないでしょうか。アメリカは開放的で美的感覚や好みがかなり日本と違います。性的で挑発的なものを認めますが、それは日本の感覚では下品となってしまいます。


★家族

☆ジェンダー体制についての人々の認識

ここで著者は日本人に男性が優遇されているという認識があることを述べます。確かに、少なくなったとはいえ、不当な差別も存在することは確かです。しかし、フェミニズムがあらゆる伝統的な秩序を男性優遇として攻撃していることも大きいのではないでしょうか。異性の立場と役割を理解しようとするよりも、その立場と役割が自分と違うという理由だけで攻撃の対象とするフェミニズム。不当な差別をなくすことは必要ですが、フェミニズムの言うように伝統的秩序がすべて不当なものかどうか検討すること、男性と女性が相互に異性の立場と役割に理解を深めるとともに自分の立場と役割がどこから来ているのか自己認識を深めることが必要でしょう。


☆男女の実際の家事関連行動

「女性が働いていてようがいまいが家事は女というパターンが成立している」(p204)と著者は指摘します。確かに、このパターンは存在します。専業主婦なら、当然主として家事を担うでしょう。兼業主婦なら、仕事をしながらも家事に責任を持つでしょう。主婦という生き方を認めるかどうかの問題となります。私の立場はもちろん主婦は幸福の素、地の塩だということです。
しかし、キャリア・ウーマンの道を選んだ女性にはこのパターンは押しつけられるべきではないでしょう。キャリア・ウーマンの夫は主婦の夫よりも家事に協力すべきだし、家事をしていてもおかしいことではないという考えが普及されるべきでしょう。キャリア・ウーマンが結婚する時には家事に関する約束が明確に約束されるべきでしょう。それぞれの結婚形態において様々な役割分担の形があるはずです。


☆家事に関する意識

「男は仕事、女は家庭」意識が低下しているのはキャリア・ウーマンの生き方が認められてきている証拠でしょう。しかし、「女性は仕事を持つのは良いが、家事・育児はきちんとすべきである」(p208)という考えに賛成する男性が多いのは、女性が家事・育児に責任を持つべきだという正当な考えの現れでしょう。


☆妻を夫に帰属させる制度


著者は「社会慣習・通念などの形において結婚による女性の改姓という制度が存在している」(p209)ことを指摘します。現在の制度は夫婦の絆を強め、家族にまとまりを与える正当なものです。キャリア・ウーマンの不都合は別途考慮すべきでしょう。
「結婚することを嫁に行く 嫁をもらうといった言葉で表現することと密接に結びついている。ここから女性を譲渡しうる財やモノのように見なす意識を読みとることは容易である。」(p209)と指摘します。しかし、現在ではモノのような表現はしていますが、嫁という女性が人格を持った立派な人間であることはしっかり認識されていて、慣用的にそのような表現をしているにすぎないのではないでしょうか。また、「婿をもらう 婿に行く」とも表現されます。
著者は「嫁に行った娘の生活は嫁入り先の家が責任を負うものと考えられていた。このことが遺産相続に関わる意識において、既婚の娘への相続分を、既婚の息子や独身の娘と比較して明らかに少なくしている」(p209)と指摘します。既婚の娘は実家の相続分が少なくなる代わりに、婚家で面倒を見てもらえるとともに結婚の婚資を実家から得たと考えられます。
家そのものに価値を認める家制度の下では、家の継続の観点から女性が評価されるのは著者のいうとおりです。そのような封建的家制度が認められないのは言うまでもありません。しかし、そうではない男女の人間としての幸福の観点から形成された家制度は認められて良いものと考えます。家産・家業の継承を容易にし、生活を保障し伝統を維持すると共に、家のメンバーに守るべき価値とアイデンティティーを与える制度です。この家制度は法律的には男女平等な形式をとります。
著者は「娘の処女性に関わる規範や貞操という観念は、基本的に、この財やモノとしての女のあり方に関連する規範である。」(p211)と述べます。処女性を維持して結婚すれば、曇り無き幸福な蜜月に基づいて夫婦の絆が強まります。種族保存のための生殖機能も当然無傷でしょう。理由をはっきりと意識していたわけではありませんが、昔の人は処女性を守れば、結婚生活が成功するという知恵を有していてその実践を勧めたのだと考えられます。貞操は1対1の結びつきを原則とすることから生じる観念です。
著者は「現代社会においても、親は、子どもの性的行動について、娘と息子では明らかに異なる規範意識を持っている。」(p211)と指摘します。このような意識の違いが出てくるのは、処女性の教えの他に、生物的な生殖機能の違いから、性交において、女性は与え、男性は奪うという性格が出てくるからです。欲望の満足のほかに何の対価も得ないで大事な娘が与えることに抵抗感を覚えるからです。
著者は「夫婦の関係を、夫による妻の所有であるかのように位置づける考え方は、夫婦間には強姦を認めない法解釈においても見出すことができる。」(p212)と指摘します。確かに、証拠上、裁判官に夫婦間の強姦を認定させるのは難しいでしょう。しかし、私の知る限り夫婦間にも強姦の成立を認めるのが正統的な解釈です。
著者は「男性は婚姻上の地位の変動があっても世間に公表する必要はない」(p212)と言いますが、結婚披露宴を開いて結婚したことを世間に周囲を通じて公表します。また、職場でもそれなりの挨拶をすることが多いでしょう。
著者は「男性の社会的地位は婚姻上の地位とは関わりが少ない」(p212)と指摘しますが、既婚の男性の方が独身者よりも信用が高くなるという現象があります。夫婦者の方が安心して雇用されます。夫婦者には家族を養う責任があるからです。


★職場

☆コース別人事制度

「総合職は、通常社内の中枢的・基幹的職種 昇進が見込めるものの転居を伴う転勤もあるコースなどと規定されている。他方一般職は、定型的補助的職種 転居を伴う転勤がないコースなどと規定されている。」(p216)と言います。総合職は一般職よりもかなり強い職務への専心を要求されます。命じられれば原則としてどのような仕事も引き受けなければならない存在です。命じられれば海外を含むどこへでも転勤しなけければなりません。高度な判断が必要で責任が多い地位を任されます。その代わりに、昇進・昇給が一般職に比べて有利になります。一般職は総合職に比べて低い職務への専心しか要求されません。高度な判断を必要としない定型的業務を行います。転勤も制限されます。その代わりに、昇進・昇給が不利になります。総合職と一般職は官庁でいうキャリアとノンキャリアに相当するでしょう。メリットとデメリットを合理的に組み合わせた合理的制度です。総合職や一般職の内部で、男女に昇進・昇給の差別がないことを条件として正当な制度です。
著者は「実際には一般職と総合職が同じ仕事をしていたり、逆に一般職の人が総合職の人を指導していたりすることなどの事態が当然にも生じてくるのである。」(p217)と指摘します。確かに、当然生じてきます。総合職の人も業務の実際を知り、業務に習熟するには、ある業務を長期間任されて習熟している一般職の人の指導を受けるのが良いでしょう。たま、一時の人事配置上の都合や、職務の性質上総合職の仕事か一般職の仕事か割り切りがたいために、総合職の人が一般職の人の仕事をすると見られることもあるでしょう。総合職の人が総合職失格だとして一般職の仕事を割り当てられることもあるでしょう。


☆パート労働者

パート労働には主婦が重い責任を課せられずに、すなわち家事・育児に大きな支障を来さずに社会参加でき、家計も補助できるというメリットが存在します。気楽に仕事ができる代わりにある程度賃金が安く、補助的な仕事が多いのは仕方がないことです。しかし、労働調節の名目で簡単に首を切れるのは問題だと考えます。パート労働者は通常の勤務日を自己都合で休んでも首を切ることができない日を与えられるべきです。通常の勤務日の三分の一ほどが適当でしょうか。また、パート労働者を雇用する企業にも使用者としてパート労働者に対する年金の積み立てを義務づけるべきです。


☆同じ職務・職位の男女における役割分担

著者は地方公務員の職場で「車の運転が必要となる場合や力仕事は、男性に回されがちである。また女性には、職場のお茶くみや特に来客の場合のお茶くみなどが、仕事として回されがちになる。」(p222)と指摘します。男性は下支えの仕事である汚い・きつい・危険な仕事を回され、女性はそうではない仕事を回される役割分担だとも言えます。そして、女性には比較的肉体的疲労が少ない仕事を回されることが多いので、女性の細やかな心遣いによる接客を期待されてお茶くみを任されるのでしょう。また、接客には顔が知られるというメリットがあります。


☆自営業

うまく行っている自営業では夫婦それぞれの特性に応じた役割分担がなされていると言えます。著者は「主に自分の働きによって店が大きくなったけれど、離婚してしまえば自分の店における位置は消えてしまう。その時どれだけのものが自分に残るのかと不安をもらす自営業者の妻もいる。」(p223)と指摘します。事実、主婦の家事・育児の働きは大きいものであり、それは離婚する際の金銭のやりとりに反映されるべきだし、店そのものの活動においても大きな役割を果たしたのなら、それも金銭に反映されるべきでしょう。


☆異性愛のパターン

著者は「かつて職場の女性を職場の花と表現する言い方があった」(p226)と指摘します。女性は女性美により居るだけで雰囲気がなごみ華やかになることが多いという現象を表現したものです。性的魅力を必要とする仕事の職場以外で、職場の花とすることだけを目的として雇うことは問題ですが、そのようなことを考えずに雇った女性が自然と職場の花になることは何らおかしくないでしょう。
ホックシールドによれば「女性客室乗務員が一日に乗客から被るハラスメントの回数は、男性客室乗務員が一日に受けるそれよりも多い」(p227)そうです。1日のハラスメントの回数が女性に多いのは、一般的に言って女性が肉体的力において弱者だからです。弱者が狙われるのです。これは弱者を守り保護する男らしさが欠けているということです。また、男性の方が攻撃的であり、男性の性愛の相手がほとんどの場合、異性である女性だからです。
そして「女性客室乗務員に対しては男性客室乗務員に対しては男性客室乗務員にはけっしてしないような、結婚しないのとか子どもができたらどうするのなどの個人のプライバシーに触れるような質問をしてよいと考える乗客(当然男性客が多い)も出てくるのだ。」(p227)という現象は、男性が女性客室乗務員に魅力を感じ、交際のきっかけをつかもうとする努力であることも多いのです。そして、女性客室乗務員も出会いを期待する面があります。女性客室乗務員は嫌な男性に対しては軽くあしらう賢明さが必要です。セクシャル・ハラスメントと言えるようなものに対しては、それが昂進して行かないよな歯止めとして、現実のセクシャル・ハラスメントに対する対応として、男性客室乗務員の役割があります。
著者は女性を公然と性的対象とする職場が存在し、「この結果、女性労働者の性暴力やセクシャル・ハラスメントという訴えは無化されがちになる。」(p228)と指摘します。このような職場でも暴力が許されてはなりません。しかし、こうした職場の商売の性質上、通常はセクシャル・ハラスメントとして許されない行為でもある程度許容されるのはしかたがないでしょう。そのような行為を許すことで商売がなりたっているのですから。そして、通常の職場ではセクシャル・ハラスメントが許されないと言う社会規範が確立されるべきだし、確立されつつあります。性的対象としての魅力が要求される職場は、女性がキャリア・ウーマンとして成功する通常の仕事の能力が不足していても、それにより大きな所得を得ることができる場でもあります。これも女性の自己実現の一つです。
著者は「日本の職場では、女性社員のみに制服着用を義務づけている職場が多いが、使用者の挙げる理由には、女子は服装が華美になりがちだからなどの理由が挙げられていることが多い」(p228)と指摘します。一般的に言って制服には、着用者の間に一体感を高め、制服を与えるものに対する帰属感を高め、着用者間の葛藤を抑制し、能率を高める効果があります。ブルーカラーの職場では男女共に大部分が制服着用です。ホワイトカラーの職場では、スーツが制服として機能しています。スーツはその形において制限があるとともに、色にも黙示の制限があります。これに対し、女性にはまだ、そのようなルールは成立していません。また、女性は美に強い関心を持つので、服装で美を競う傾向があります。仕事が第一のそのような無用な競争を排する必要があります。だから、女性にだけ制服が制定されるのです。
著者は女性を花嫁候補として保護する企業慣行について「日本型雇用慣行は、まさにそうした女性観・結婚観を持つ男性使用者によって形成されていった」(p229)と指摘します。確かに、日本型雇用慣行は主婦の存在を前提にしています。何度も述べるように主婦は否定すべきものではありません。そして、日本型雇用慣行は女性を保護して品行を守らせます。女性は品行が良い方が良いのでしょうか、悪い方がよいのでしょうか。事実上、悪い方が良いとしているのがフェミニズムです。そして、これは女性を性的欲望の対象(商品)とする道です。


★学校


著者は「学校は実際には社会成員への職業的地位の配分を正当化する役割を負わされているのに、私たちの社会が平等な社会であるという認識を正当化する役割をも担わされているというこの矛盾が、学校という場を緊張に満ちたものにする。この矛盾を覆い隠すための唯一の方法は、学校社会成員に平等に教育し課題を与えその成績を本人に示すことによって、彼らが自ら特定の職業的地位を選択・受容していくよう促すことである。」(p229)と言います。しかし、私たちの社会は法的に平等であり、社会慣習的には役割分担がなされている男女対等な社会であり、あるべきです。矛盾が生じるのは、本来自由に形成されるべきである社会慣習までも男女平等イデオロギーに基づいて歪曲しようとするフェミニズムの立場に立つ場合です。また、学校が努力と勤勉を勧めるのは正当なことです。


☆進学

著者は学歴の点において、女性の専攻(人の世話をすることに関わるものが多いこと)において、大学院進学に関して、性差が生じると指摘します。しかし、これらのことは男女の心性とライフスタイルの違いに応じて生じた現象です。すべてが男性と女性半々でなければならないという立場に立って問題となるものです。その立場に立った場合、機会均等と男女の心性に反し、個別具体的に不当な結果が多数生じてくるのです。
著者は「女性が四年生大学に進学しないのは、成績が悪いためであり、仕事の上で男性と同等になれないのは、学歴において相違があるためや、女性が仕事において必要な専門知識を持っていないからであるとか、家庭で女性が家事や育児を担うのは、女性の方が職業上の能力を持っていないからである」(p235)などの考え方を批判します。良い成績や専門知識や学歴を持たない女性も事実として存在しますが、女性一般をこのように考えることは大変不当なことです。特に女性が主婦として家事・育児の責任主体となるのは、職業上の能力を持っていないからではなく、その優しい心性故に家事・育児をしてくれていると考えるべきです。
著者は「ある男子学生は、職場における性差別を、大学進学時において女性が男性に比較して努力を怠っていたことの当然の帰結であると解釈した」(p235)と指摘します。男女対等に基づく役割分担から正当化しうる性的カテゴリーに基づく区別ではない、性差別は当然否定されるべきです。女子大や女子短大は総合大学とは違ったそれぞれ独自の意義を有し、その意義に相応しい就職口が用意されるべきだと考えます。


☆大学進学率の性差

著者は「成績が非常に良い場合は同等に進学するものの、一般的に同じ成績であれば男性は女性よりも多く四年制大学に進学している」(p236)と指摘します。これは成績が良いなら、成績の良い男子にも伍して行けますが、成績が悪いなら主婦の道も考えた方が賢明だと言うことから起こる現象でしょう。「親は男の子には大学までを望むが、女の子には大学までは望まず短大でよいと考える人が多く」(p237)いるのも、親も成績が良いのなら、四大までと考えますが、それほどでもないなら無理をして四大まで行くことはなく、主婦の道も考えた方が良いということでしょう。
著者はその背後には「女性は家庭に入るものという性別分業の考え方があることは確実である。」と指摘します。確かに、主婦の道があるから生じています。しかし、家庭に入るべきという強制は現在では働いていません。


☆異性愛のパターンが進学率に与える影響

著者は「四年制大学で男子学生と一緒になって生活することがもたらすかもしれないリスクへの親の不安、特に若い女性が都会で一人暮らしすることへの親の不安が、女子短大を選択させる一因になっている。女子短大には、親元から通えるという地域密着性や、寮の整備などによって若い女性が一人暮らしをしても安全であることを売りとするところがかなりある。」(p238)と指摘します。これは職場のところで考察した守られるべき存在としての女性に関連します。そして、これらの売りは四年制大学でも売りになりえます。そして、女子短大への進学率の高さは主婦の道への支持も示しています。


☆専攻分野の性差

高校生得意科目の男女別の傾向として、男子学生は数学、理科、地歴・公民、体育を得意とし、女子学生は国語、英語、芸術、家庭を得意とする傾向が見られます。男子学生の得意科目は徹底した抽象的思考が必要で、感性や美よりも知性、体力が必要な科目です。女子学生が得意なものは体力や知性よりも感性や美の必要性が高い科目です。それぞれの心性に一致していると考えられます。そして、得意科目から見て、社会において男性が有利となる分野が比較的多い傾向が伺えます。社会を動かしているのは、科学と論理的思考であり、徹底した仕事をするには体力も必要だからです。
著者は「共学校に学ぶ女性は、女子校の女性よりも、数学が不得意という意識をより多く持つという調査結果もある。」(p240)と指摘しますが、これは周囲に数学を得意とする男子学生が多くいるので、それに比べて不得意だという意識を持ちやすいのだと考えられます。
著者は「女子大選択は、単に専攻分野だけではなく、風紀や安全性に関する配慮からもある程度なされるのである。」(p240)と言います。攻撃性の強い男子のいる大学よりも女子大の風紀が良くなるのは自然な傾向です。身を守る配慮をするのも自然な傾向です。そのような傾向に合致することもあって女子大は支持されています。


☆課外活動

課外活動の内容は「男性を主とし女性を副とする性別分業パターンを含んでいる。」(p242)と著者は指摘します。これは女性が男性を立てるという習慣に基づくものです。表に立った男性は女性を守る必要があります。男性の方が男性の力を抑えやすいと言えます。また、女性が攻撃の矢面に立つことを防ぎ、女性の美と感性を守ります。
女性が男を立てる習慣は否定すべきものではありませんが、女子校では男子学生を表に立てる必要はなく、また男子学生に攻撃されることもなく女子学生が経験を積めます。ここにも女子校の存在意義があります。


☆教科内容

著者は教科内容に「女子のみに母親になる自覚を持てと強調する一方で男子の父親になる自覚については言及しない」(p243)ものがかなりあると指摘します。確かに、これは問題で是正されるべきです。しかし、それは男性に母性を担わせようとするものであってはならず、父性としての自覚を求めるものでなければなりません。また、「女性の婚姻外性行動について自粛を促すような内容のものがまだかなりある。」(p243)と指摘します。婚姻前に、性行動を自粛するのは、幸福な結婚をするための知恵です。婚姻後に婚姻外の性行動を自粛するのは、一夫一婦制の立場からは当然です。教えられるべき知恵です。


前頁へ トップへ ラストへ 次頁へ