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日本国憲法とフェミニズム


日本国憲法下において、
フェミニズムの主張が許されるかを検討したい。
具体的には、現在、日本ではフェミニズムが男女共同参画という形をとっているが、
男女共同参画の理念的な実現形態、
国会議員や大学教授、会社員、看護師などが男女同数でなければならないという結果の平等の主張の
違憲性を論証する。
日本国憲法は、14条、24条、44条において男女同権を規定する。
その意味が問題となる。
14条は性別に基づく差別を禁止するが、
男女の肉体的差異に基づき合理的区別をすることは許される。
日本国憲法は個人の能力に基づく自己実現の自由を根本精神とし、
そのための機会均等を定めたのが14条だからである。
従って、フェミニズムが主張する結果の平等は認められない。
個人の能力が努力により発揮された結果は不平等たるを免れないからである。
不平等な結果を目指すからこそ、競争に動機が与えられ、
各人が能力を競うからこそ、社会の進歩があるのである。
24条2項は「両性の本質的平等」を規定する。
これは結果の平等を要請するものか。
哲学的科学的に見て、男女は事実からして肉体的に不平等であるとともに、
価値的に見て精神は平等である。
日本国憲法は精神の平等からもたらされる法的権利における平等を規定したものである。
歴史的に見ても、日本国憲法の男女同権の規程は封建的家制度、
法的権利における男女平等がない制度を否定するために、
このような表現が取られた考えられるのである。
そして、フェミニズムを要請していると考えることは
機会均等の大原則に反するし、
21条の政治的自由や22条の職業の自由、23条の学問の自由などの
権利保障に反することにもなるからである。
これらの自由権は各々が自由に活動した結果の努力や業績に基づいて、
政治家や大学教授、会社重役などの地位が与えられることを含意しているからである。
そして、公権力がフェミニズムを推進することは思想・良心の自由を犯すことになる。
さらに、家族や社会の慣習を公権力を使って変えようとすることは、
慣習が個人の自由に任され、公権力が原則として介入してはならないという自由主義の原則に反する。

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